【新垣結衣】生い立ちと学生時代のエピソードまとめ

女性芸能人

女優・新垣結衣さんは、映画やドラマ、CMなど多方面で活躍を続けています。その魅力的な笑顔と自然体の演技で、多くのファンを魅了し続けています。本記事では、新垣結衣さんの生い立ちや学生時代のエピソード、芸能界入りのきっかけなど、彼女の原点に迫ります。

沖縄県那覇市での幼少期

新垣結衣さんは1988年6月11日、沖縄県那覇市で生まれました。家族構成は両親と二人の姉の五人家族で、三姉妹の末っ子として育ちました。父親は美容関係の商品を卸す仕事をしており、母親は東京出身の元美容師です。母親が身長170cmと高身長であることから、新垣さんのスタイルの良さは母親譲りとも言われています。

幼少期の新垣さんは、恥ずかしがり屋で甘えん坊な性格だったそうです。小学校4年生の時には、母親の絵を描いて地元紙主催のコンクールで入賞するなど、絵を描くことが得意でした。また、当時はSPEEDが大好きで、彼女たちのようになりたいという夢を抱いていたといいます。

中学時代の部活動と芸能界への憧れ

中学校は沖縄県南城市立大里中学校に進学しました。中学時代は女子バスケットボール部のマネージャーを務め、選手たちをサポートしていました。また、この頃から芸能界への憧れを抱き始め、雑誌『ニコラ』のモデルオーディションに応募することになります。

『ニコラ』モデルとしての活動と上京

2001年、中学1年生の時に『ニコラ』のモデルオーディションでグランプリを獲得し、芸能界入りを果たしました。同誌の専属モデルとして活動を開始し、2005年までの間に表紙を15回飾るなど、人気モデルとして活躍しました。

高校は東京都目黒区にある日出高等学校(現:目黒日本大学高等学校)に進学し、上京しました。高校時代は寮生活を送りながら、学業と芸能活動を両立させていました。多忙な日々の中でも、友人とのランチの時間や寮でのこたつ生活が心の支えだったと語っています。

女優としてのブレイクと現在

2006年、ドラマ『マイ☆ボス マイ☆ヒーロー』で連続ドラマのヒロインに抜擢され、注目を集めました。翌年には映画『恋空』で主演を務め、日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞するなど、女優としての地位を確立しました。その後も『コード・ブルー -ドクターヘリ緊急救命-』シリーズや『逃げるは恥だが役に立つ』など、数々の話題作に出演しています。

2021年には、ドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』で共演した星野源さんと結婚を発表し、大きな話題となりました。現在も、映画やドラマ、CMなど多方面で活躍を続けており、国民的女優としての地位を確固たるものにしています。

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